1960年代から主にフランスで「ポストモダン」と呼ばれる哲学が登場しました。フーコー、デリダ、ドゥルーズといった哲学者たちが近代以降の哲学を展開して一世風靡します。
彼らが問題にした近代とは啓蒙のことであり、啓蒙の帰結が全体主義でした。この苦い反省に立ち、ポストモダン哲学者たちはいかにすれば近代にいながら全体主義を防げるかという重い問いに立ち向かいました。啓蒙批判という点で、ポストモダン哲学者たちは一世代前のフランクフルト学派とも主張を同じくします。
フーコーが狂気を、デリダが差延を、ドゥルーズがリゾームを唱えました。これらはすべて全体主義からの逃走であり、全体主義への脱構築でした。全体主義への抵抗というテーマを抜きにしてポストモダン哲学を論じても、ほとんど意味はないでしょう。
私たちが生きている世界は今も近代であり、啓蒙が尊ばれています。啓蒙の限界を見抜いて全体主義に継承を鳴らし、リゾーム社会構築を訴えたポストモダンの意義は今も失われていません。
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